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Miya ORIENTAL SUN 発売記念ライヴ




◆【ライヴ短評】━━━━━━━━━━・・・・・・・・・・・‥‥‥………

Miya ORIENTAL SUN 発売記念ライヴ@新宿Pit Inn 2009/12/03

          メンバー
          Miya(フルート)、スガダイロー(ピアノ)
          渥美幸裕(ギター)、外山明(ドラムス)

女性フルート・プレイヤー、Miyaの3作目となる

『ORIENTAL SUN』の発売を記念したライヴ。


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まずは閑話から始めることを許されたい。


フルートという楽器は、

室内楽においては花形として扱われるものの、

ジャズの分野では演奏人口も少なく、

サックス奏者が“片手間”に吹いているような

印象があるのは否めない。


ところがジャズ・フルート自体はかなり特異な存在で、

非常に興味深いパフォーマンスが残されている。

例えばエリッック・ドルフィー、ジェレミー・スタイグ、

ハービー・マン、ルー・タバキンなどなど。

あ、ボビー・ハンフリーなんかも思い出した。

それから、ちょっとハズれるけど、

ローランド・カークのノーズ・フルートも強烈なインパクトだ。


まあ、ざっと振り返ってみても、

フルートによって具現されるジャズという音楽は、

かなり獰猛で起伏の激しいものとして描かれることが多いように思う。


弱音の木管楽器であることは、

ジャズにとってマイナス面が多いのではないかという

先入観を見事に覆して、

フルートはほかの楽器にはない独自の立ち位置を

確立することに成功しているといえる。


それだけに、ジャズ・フルートの後継者たちには

高いハードルが残されてしまったともいえるのだが。


だから、ヒーリング音楽的な活用法は展開できても、

それ以外の、特にスピリチュアルな分野においては

なかなか過去を凌駕できる人材が出てこなかったという

背景があった。


で、閑話休題。


Miyaの登場は、

こうしたジャズの歴史を塗りかえるものとして、

ジャズ・シーンに衝撃を与えている。


日本人の父とイギリス人の母とのあいだに生まれたMiyaは、

2004年に洗足学園音楽大学のジャズ専攻を卒業、

プロとしての活動を開始した。


2作目の『Miya's Book:Music For Seven Days』では

日本の即興芸術シーンの最前線を走り続けている御大、

山下洋輔をエグゼクティヴ・プロデューサーに迎えたことからも、

彼女のフルーティストとしての立ち位置がうかがい知れるだろう。


そして『ORIENTAL SUN』だが、

そのアルバムを耳にしたとき、

フルートのもつイメージと

Miyaという女性のもつイメージが

あまりに乖離していたことから

しばし思考停止に陥るほどの体験をさせてくれたおかげで、

せめて1セットでもいいから“実体験”をしたいと、

新宿の老舗ライヴハウスに馳せ参じさせたという

威力をもった内容だったのである。


その“実体験”の破壊力は、

アルバムはおろか想像さえも遙かに超えたものだったので、

(ボクには実はないにもかかわらずに)

後ろ髪を引かれながら2セット目を見られずに

帰途につかざるを得なかったという“熱い夜”だったのだけれど、

これでまたフルートのようなマイノリティ楽器への

興味を再燃させてくれたMiyaには

熱い視線を送り続けなければなるまい。


余談だが、

中学生のころだからもう40年近く前になるのだけれど、

ジェスロ・タルというプログレッシヴ・ロックの

バンドの来日公演を観に行って、

地味だと思っていたフルートという楽器のかっこよさに

目覚めてから現在に至っているボクの嗜好なのだからだけど、

Miyaという逸材が輩出されたことによって、

「案外、フルートってストライク・ゾーンかもしれないな」と

改めて独りごちさせてくれたりすることに、

うれしさを覚える今日この頃だったりしている。



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小林桂コンベンション・トーク&ライヴ



◆【ライヴ短評】━━━━━━━━━━・・・・・・・・・・・‥‥‥………

小林桂コンベンション・トーク&ライヴ@目黒ブルースアレイジャパン 2009/11/30


ベルベットのような触感を想起させる

ミスティなヴォイスで老若男女を魅了してきた小林桂。


つい最近も、NHK総合テレビのドラマ「行列48時間」の

エンディングで、夜景をバックに彼が歌う

「聖者の更新」が印象的で、

ドラマの余韻をさらに深める演出に感心したばかり。


さて、その小林桂。


なんでも、「十代の時に自ら描いた設計図、

20代半ばまでに100曲録音を越えたら、

制作活動、露出を控え、最小限のライヴ活動のみにし、

20代までにするべきことを終えて再活動する」

という目標を立てていたらしい。


そして今年、30歳を迎える。


レコード会社を移籍して自己レーベルを立ち上げ、

初のオリジナル・ソングを収録した第一弾を

リリースするということで、お披露目のコンベンションが開かれた。

Just Sing

09122703.gif







ライヴ本番前のジャズクラブを借りての、

1時間ほどのイヴェントだったが、アルバム収録曲3曲と、

ファンにはもうおなじみの軽快なトークによって、

変わらぬ質の高いパフォーマンスと

新たな旅立ちに向けた決意を印象づけてくれた。


では、何が小林桂の“決意”だったのかを、

例によって邪推してみようか。


彼の歌やトークを聴いて帰途脳裏に浮かんでいたのは、

“変わらないなぁ”という印象だった。


レコード会社の移籍や自己レーベルの立ち上げなど、

一見すると何か新しいことを始めた、

いわゆる“変化”であると世間一般ではとらえることが多い。


しかし、彼は“変わらない”ことを、

強烈にアピールしようとしたのではないだろうか。


環境の変化はもとより、

30歳を迎えるにあたって

自分の足跡を総括したであろう小林桂の“答え”が、

このステージに現われた“変わらない”ではなかったのか。


自分を曲げも広げもせず、

改めて「自分は小林桂という等身大の存在で歌っていくんだ」

という決意。


もちろんそこには、これまで吸収してきた彼にとっての

ジャズのアイデンティティがあり、

そしてまた、今までそうであったようにこれからも、

自らのセンスと嗅覚で取捨選択したサムシング・ニューを

貪欲に取り込んでいく姿勢も変わらないのだろう。


言うなれば不惑。


孔子の教えからすれば時期尚早かもしれないが、

早熟な天才なのだから仕方あるまい。


惑わず軸を定めた小林桂が、

どんな活動を展開していくのか、

期待を高めてくれたコンベンションだった。


小林桂さんと富澤えいち



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【映画試写短評】「ベジャール、そしてバレエはつづく」



◆【映画試写短評】━━━━━━━━━・・・・・・・・・・・‥‥‥………

映画「ベジャール、そしてバレエはつづく」



モーリス・ベジャールである。

バレエは一度しか観に行ったことがないボクでも、

その偉大なる名声は聞き及んでいるという、

エンターテイメント・ダンス界の巨匠だ。


クロード・ルルーシュ監督の映画「愛と悲しみのボレロ」(1981年)

を記憶している人も多いとは思うが、

ベジャール・バレエの体現者であったジョルジュ・ドンによる

「ボレロ」のパフォーマンスは圧巻だった。


そのジョルジュ・ドンが1922年に、

総帥であるベジャールも2007年11月に逝去すると、

バレエ団の存続が危ぶまれる事態に陥る。


ジョルジュ・ドン亡き後のモーリス・ベジャール・バレエ団(BBL)は

ジル・ロマンというソリストを中心に構成され、

結果的に彼の手にBBLの行く末が委ねられることになる。


1987年からスイスのローザンヌに拠点を据えて

活動を続けていたBBLは、

市の助成を受けていたのだが、

ジル・ロマンに引き継がれた新生バレエ団に対して、

3年間の期限付きでの助成を決定する。


市内いたるところにBBLのロゴや

ポスターが飾られるこの街にとって、

ベジャールの率いるバレエ団をサポートすることはとても名誉なこと。

そして、3年の延長は、

彼らがその誇りを、

財政的な困難を乗り越えて続けるかどうかを判断する

“執行猶予”の期間でもあった。


つまり、ベジャールの“威光”を

ジル・ロマンが引き継ぐに値するのかが試される期間ーー。


このような背景のなかで、

ジル・ロマン初振付作品「アリア」の公演が開催されるまでを

追ったドキュメンタリー映画である。


ストーリーとしては、バレエ団存続と舞台監督の重責という

プレッシャーに襲われるジル・ロマンの葛藤や、

関係者それぞれの立場と心情を盛り込んだ

インタビュー形式の編集によって、

一本調子になりがちな時系列記録の弱点をうまくフォローしている。


しかし、なんといっても踊りの場面の映像が圧巻で、

肉体表現の粋をめざしたベジャール・バレエのエッセンスを、

十分に堪能することができる内容になっている。


練習風景の映像は、

そうしたエッセンスに至る“ベジャール魂”の本質を

解き明かす貴重な資料といえるだろう。


バレエ好きはもちろん、

パフォーマンスに興味のある人、

肉体美に見惚れてみたい人などなど、

ぜひチェックしてほしい佳品だ。

  公式サイト =>> http://www.cetera.co.jp/bbl/

   12月19日から東京・Bunkamuraのル・シネマでロードショー



ジャズ - iTunes Store

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第60回紅白テーマソング「歌の力」で、

レコーディング・ヴァージョンを歌っているのが

アン・サリー。



2001年のデビュー時には、

透明感溢れる歌声で「ジャズ界に大型新星現わる!」と

話題になりました。

何を隠そう、ボクもチェックし続けている

フェイヴァリット・ヴォイスの1人なのです。




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【ライヴ短評】春犬でゅお@新宿・ミノトール2

◆【ライヴ短評】━━━━━━━━━━・・・・・・・・・・・‥‥‥………

春犬でゅお@新宿・ミノトール2 2009/11/06


“春犬でゅお”というのは、ピアノとギターによる

2名のユニットの名前だ。


ピアノの中村尚子は、“春犬バンド”などの活動を通して

独自の詩的感覚が溢れる世界を表現している。


一方のギター、梶川朋希はといえば、

“TKB”という恐ろしくマニアックな

プログレッシヴ・フュージョンのユニットを率いて、

蹴躓き真っ直ぐ歩けないようなリズムと、

隣同士の色が解け合わず反発しているような

現代絵画を想起させるコード感を織り交ぜた

不思議なエレクトリック・サウンドを発していた怪しい人物(笑)で、

正直言って、およそこの2名が組んで何かを始めるイメージが

湧かなかったのだけれど、

実は中村尚子のここ数年の活動をプロデュースしてきたのが

梶川朋希だったのだ。


それならば、このデュオ(二重奏)スタイルは

フロントの中村尚子の世界をさらに広げるための背景を

プロデューサーの梶川朋希が自らプレイング・マネージャーとして

出張ってきたのかと解釈しようとすれば(←JーPOP風に)

おそらく80%くらいの正答率で合格のハンコを

“一応”もらうことはできるだろうけれど、

そこで安心はできない。


まず、バンドでは出てこなかった

中村尚子のひと味違った叙情的表現が

それでは説明できなくなるし、

アコースティックに徹した梶川朋希のポジショニングが持っている意味も

曖昧になってしまうからだ。


彼らのデビュー・アルバムを聴きながら感じていた

こうしたボクの個人的な心のシコリを解決するには、

やはり実際に音が一期一会しているライヴの現場を

訪ねなければならないと思っていたので、

当日を心待ちにしていたところだった。


さて、ライヴを体験して

その個人的な春犬でゅおに対する問題提起は解決したのか

と問われれば、謎はさらに深まったといわざるをえない。


このデュオは、実はデュオではないと感じていた理由に

“相互補完”を重視していない部分がかなりあって、

いわゆる“行ったら行きっぱなし”を

どのように音楽という形にまとめるかとなるのだけれど、

途中のインターバルで梶川本人から聞いた話では、

もっとギターをカッチリとやりたいということだったから、

さらに中村尚子を解放していく方向性をめざしている

進行形の音だったということになる。


つまりは、限りなくインプロヴィゼーション(即興演奏)に近づけながら、

ポップ・インストゥルメンタルのスタイルを踏襲していこう

というものだろうか。


書いているうちに、

イメージ的には“暴れる久石譲”が

ボクの脳裏に浮かんだりするのだけれど、

少なくとも当夜の2名が投影してくれた世界のなかには、

フラメンコ音楽のなかに感じるような

深い血と風土が織りなす独特の“風”が

吹き始めていたように感じた。


           /\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\
           春犬でゅお
           中村尚子(ピアノ、ピアニカ)、梶川朋希(ギター)
           /\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\



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【ライヴ短評】平井景スペシャル@原宿QUEST HALL

◆【ライヴ短評】━━━━━━━━━━・・・・・・・・・・・‥‥‥………
平井景スペシャル@原宿QUEST HALL 2009/10/29

4ビートにこだわらず、幅広い音楽世界に対してユニークなアプローチを

発し続けているドラマーの平井景。


彼が、自身初のソロ名義アルバム『SORA』をリリースしたことを

記念して行なわれたツアーの一夜を観に出掛けた。


表参道に面したQUEST HALLは、

日本のファッション・シーンを牽引する原宿の街を象徴するような、

メインストリートのおしゃれなビルの一画に位置している。


音楽をファッションの一部としてとらえることに

抵抗のある向きもあるだろうが、

感情に直接訴える要素の強いアートであることを考えれば、

装飾としての衣服やライフスタイルといった

ファッション全般との親和性は深くて当然と考えるべきだろう。


こうした背景を平井景の音楽性と重ね合わせることは、

無駄な試みではないと思っている。


ライヴもオープニングに映像を用いるなど、

「音楽=耳だけ」というステレオタイプな発想を抜け出そうという

“意志”が感じられるなど、随所にドラマーというポジションに

こだわらない平井景の“意識”を浮かび上がらせる演出が施され、

会場の空気感を濃密なものへと変化させる一翼を担っていた。


ドラマーを意識させないという意味では、

楽曲のなかでもことさらドラムソロを要求しないなど、

明らかに平井景が自らに律している“スタイル”が存在し、

そのことが結果的に彼の生み出す楽曲の存在感を際立たせることに

役立っているという流れを生んでいる。


そのことが一方で「演出臭さ」といった、

計算高さ=非人間性につながりかねないリスクを、

平井景は共演を重ねたメンバーとの有機的な交流によって

見事に打ち消してしまっている。


それもまた計算なのかと言ってしまえば身も蓋もないけれど、

その絶妙なバランス感覚こそ“才能”と賞すべきものだろう。


もうひとつ書き添えておきたいのは、

ホール・ロビーのスペースに巡らされていた平井景の“配慮”だ。

飲食のサービスや写真の展示など、

ウェルカム・アイテムに囲まれた心温まる空間になっていた。


さらに驚いたのは、一部と二部のあいだの休憩時に、

その一画に飾られていたドラムセットを使って

平井景が原田芳宏と「セント・トーマス」を披露してくれたことで(=写真)、

ホール・コンサートのステージとの距離感とは違うアプローチ、

そしてドラマーとしての平井景の本領をチラ見せしてくれるような

サービス精神を発揮してファンをもてなしてくれたのだ。

平井景&原田芳宏

音楽が感情に直接訴えるアートであればあるほど、

こうした“心”が、音符の羅列でしかなかった設計図を

血湧き肉躍る物語に塗り替えていくのだという証拠を

確認させてくれたステージだった。


           /\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\
           平井景スペシャル
           NAOTO(violin) 榊原大(piano) 村上聖(bass)
           平井景(drums) guest 原田芳宏(steel pan)
           /\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\/\


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【ジャズの行間から】『音楽の聴き方』1

◆【ジャズの行間から】━━━━━━━━・・・・・・・・・・‥‥‥………
『音楽の聴き方』1
      // ブックレビューらしからぬブックレビュー
     ☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
     ┃ 《引用図書》
     ┃ 岡田暁生『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』
     ┃ 中公新書
     ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


        


「音楽を語る言葉を磨く」ことは、十分努力によって可能になる

類の事柄であり、つまり音楽の「語り方=聴き方」には確かに

方法論(傍点三文字、引用者注)が存在するのだ。




本書は、感情が中心になっていると考えられていた音楽鑑賞について、

一定のスタイルを確立することが可能で、それによってさらに

楽しみ方を深めることができるという著書の持論を解明するための

各種論考が並べられている。


音楽の楽しみは聴くことだけではない。「聴くこと」と語り合う

こと」とがいったいになってこそ音楽の喜びは生まれるのだ。




まさにこの点があって、ジャズがジャズたるべき発展を遂げることが

できたといえるのではないかと思っていた。


いわゆる「モダンジャズ」と呼ばれる範疇の音楽は、

その社会的背景や発展過程などを論理的に裏付けされる

ことによって、存在の意義を高めてきた。


つまり、論理的に裏付けされるだけの論理性がそこにあり、

たとえそれが“こじつけ”といわれるような類のものであっても、

ストリームという系譜によって並べ替えられるだけの

類似性をもって他と対峙してきたのだ。


このあたりが、流行歌としてエポックを作るだけの

存在であったポピュラー・ミュージックと一線を画する

理由なのではないかと思っている。

                              (つづく)



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