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【JAZZの髄(ズィ)】2010/02/22号



ジャズ・ライターの 富澤えいち がお送りする
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   メルマガ「JAZZの髄(ずい)」
                         2010/02/22 配信
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>音楽をめぐる言説がややもすると、例えば「あそこでぐっと来る(よ
>うな気がする)」といった、身体の奥の漠然とした疼きのようなもの
>についての感想に終始する理由は、まさにこのあたりにある。
>岡田暁生『音楽の聴き方』(中公新書)からの引用


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(つづきは編集後記へ)


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◆【ライヴ短評】━━━━━━━━━━・・・・・・・・・・・‥‥‥………

渡辺香津美JAZZ回帰プロジェクト 2010/02/06 六本木STB139スイートベイジル


          メンバー
          渡辺香津美(ギター)、井上陽介(ベース)
          則竹裕之(ドラムス)
          ゲスト
          本田雅人(サックス)、藤陵雅裕(サックス)


1970年代初頭、日本の音楽シーンにも本格的な

エレクトリック・ジャズやロックの波が押し寄せてきた。

ちょうどそのとき、ベンチャーズやビートルズはもとより、

チャーリー・クリスチャンやウェス・モントメリーといった

ジャズ・トラディショナルな流れをも包括した弱冠17歳の少年が

登場した。渡辺香津美である。


彼はまず、ジャズをイノヴェートしてきた先人たちの技量を凌駕して

斯界の五月蝿方を黙らせ、いち早くジャズとロックを融合させた

ハイブリッドなギター・サウンドを開拓して同世代の心を

わしづかみにした。


以降、世界を席巻した活動などを通して、常にシーンの第一線で

インストゥルメンタル・ミュージックの可能性を広げ続けて

いるのだけれど、この数年の彼の作品(=アルバム)から伝わる

彼の指向は、交響詩的な構築美と叙情性を押し出した“ギター・

ルネッサンス”や、ギター・トリオのエレクトリック・サウンド的な

瞬発力を追求した“MO’BOP”という2本柱に象徴されるような、

渡辺香津美というアーティストの世界観と情動をそれぞれ集約させた

活動が主体だったので、ある意味でギタリスト(厳密にはジャズ・

ギタリスト)としての彼を“一時保留”しての“進化・探求”だったと

いえる。


しかし、音楽的人格の“核”を形成する三要素たるうちの1つを

置き去りにしたまま、渡辺香津美のギターは未来へと歩を進める

ことができなかった。

このような経緯から生まれたのが、新作『ジャズ・インプレッション』

だったのではないだろうか。


ところで、渡辺香津美が自らの“核”と考える“ジャズ”とは何なのか。


その答えは、実はアルバムではよくわからなかった。

というのも、彼はそこで自らを世間一般で想像しうる“ジャズ・ギター”に

落とし込んだようなサウンドを作るようなことを、これっぽっちも

考えていなかったからなのだが。


例によってそこには、枠を取り払った挑戦で溢れ、規制概念的な要素が

あったとしてもそれはフックでしかなく、とても“ジャズ・ギター”という

陳腐なコンセンサスでは説明しきれないアイデアが盛り込まれたものに

なっていたりしたものだから、イマイチ理解が及ばなかったのだけれど、

ステージで渡辺香津美が出した“生音”を聴いた途端、

「なるほどそういうことだったのか!」

と思念がリンクしたものだから、やはりライヴはやめられない。


なにが「そういうこと」なのかを分析するのが、

評論を前提として成立するはずのボクの仕事なのかもしれないが、

牽強付会に多くを語らず、なにかの柵から解き放たれたかのように

ギターを弾きまくる渡辺香津美の姿に感動を覚えたとだけ書き記して、

新たなる渡辺香津美の飛躍を楽しみたいと締め括りたいのだ。

そんなワガママを言いたい気持ちになったのも、

渡辺香津美がチラッと見せてくれた

次の“ジャズ・ギター”の世界に

期待を膨らませられすぎたからということで御容赦願いたい。


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◆【編集後記】━━━━━━━━━━━・・・・・・・・・・・‥‥‥………

(つづき)

>言ってみれば音楽は感覚/感情のマッサージのようなものだ。だが
>果たしてマッサージは文句なしの「芸術」と言えるか? カント(彼
>もまたあまり音楽に興味がなかった)は、音楽を単なる「快適な技術」
>に過ぎないと考え、如才ない会話だとか、食卓に供せられる料理の類
>だとか、香水をふりかけたハンカチなどの同列に置いた(『判断力批
>判』上巻、岩波文庫、253/296ページなど)。感覚的刺激という点
>で音楽は最高位を与えられるが、理性という観点から見れば最低の芸
>術だというのである。
>岡田暁生『音楽の聴き方』(中公新書)からの引用


音楽が「理性的な芸術」ではないという議論は、

かなり昔からあるようですね。

今回のライヴ短評でも、ボクは渡辺香津美のステージの姿について

分析を保留しようとしていますが、それは分析ができないような

感情的な要素が先行する対象であるという意味ではなく、

安易な分析による固定概念化を避けたいという「期待」から

出た行動なのです。

それは何に対する「期待」かというと、

「ジャズは考える音楽である」ということと、

その理想を具現し続けているのが渡辺香津美というアーティスト

だということだから、なのです。

彼は音によって聴く者に何かを与えるのではなく、

音によって聴く者が何かを考えざるを得ない「場」を与える、

ということになるでしょうか。

それができる才能との出会いを、大切にできるかどうかが、

ジャズを、音楽を楽しむことができるかどうかの

「境目」になるかもしれないと思っています。



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